結果論で物事を語ることのしょうもなさ

こんにちは。ゆりたそです。

 

酔っていて暇なのでブログを書きます。最初に言っておきますが自分の考え方の整理なので読む価値は殆ど無いです。

 

今回は僕が思ってる結果論で物事を語ることのしょうもなさ、について書きます。

 

今回の記事を書こうと思った理由は、「過去の選択肢について後悔をしている人」と少し話して、それについて感じた自分の持論です。

 

 

世の中結果論で物事を語る人がいますね。

「あのとき○○するべきじゃなかったよね」

みたいな話をする人のことです。

 

人はそれを他人に言われて、あるいは自問自答の結果自覚して「あのとき○○するべきじゃなかったなぁ......」というような後悔をしがちであるように感じます。

 

けどそれって所謂"仕方の無いこと"であり、考えたところで仕方のない場合が殆どであるように感じます。過去に「将来の期待値」に従って行動した結果、それが悪いようになったならそれは"仕方の無いこと"で、それを受け入れる必要があります。

で更に言えば考えてもしょうもないことを一生悔やんでいるような人間も多くいるように感じていて、「なんか無駄なことにリソースを割いてるな~」と思うことが結構あります。

 

僕はFPS畑の人間なので、FPSに絡めて例をあげると、

 

「味方からカバーのFBを貰って打ち合って、それで打ち負けた」場合があります。

 

打ち負けたことで、少なくない数のFPSプレイヤーは、「俺のaimが無かったのかな」「俺の打ち合いの仕方が悪かったのかな」などの後悔をしますが、本当に無駄です。

打ち合いの勝ち負けなんて、実力が拮抗している場合、極端に言えばその時の"運"に依存するので、味方からカバーのFBを貰って、打ち合いの勝率が5 割から7割に上昇していて、その上で打ち負けた場合には「それを仕方のないこととして受け入れる」ことが必要なんじゃないかと思っています。

けど少なくない数のプレイヤーは「なんでそこ負けるんだよ......」みたいな文句を垂れるし、それに対して本人は打ち負けた自分を責めがちです。個人的にはそれについて「なんだかなぁ......」みたいに思ってしまいますし、実際に思っていました。結果論で物事を語ることをやめた方が良いと思うし、「仕方のないことは仕方のないこととして受け入れ」た方が精神的にも良いし、正しいと思います。

 

統計的には「1/2の確率で撃ち勝つ人」が「30回撃ち合いをして」「10k20d未満のスコア」になる確率は多分5-10%くらいあります。多分。計算してはないですが。そんな事象を深く考えたところで意味がないです。

 

 

 

またリアルの話をするのならば、まぁ僕は大学院を休学中の身の上ということもあって、周りから「休学せずにそのまま進級していたほうが得だったよね」みたいなことを言われる期会も無くもないですが、俺の休学という選択肢は

・その当時の俺からしたら仕方の無い選択

であって今の自分は

・今の休学中の自分は後悔をするはずなんて無い存在

なんですよね。

 

実際過去には「自分が休学する将来」「自分が休学しない将来」を2つの天秤にかけて今の選択を選んだので、今について他からどう言われようと「過去の自分がその道を選んだのなら、それを受け入れその上で自分自身の今後を考えるべき」と考えていて、後悔もしてないです。

 

 

全てをまとめると、「期待値に沿って動いた結果損したとして、それを後悔する必要なんて一切無い」に通じるのかなと思います。

 

考えるべきは「なんであのとき○○しなかったんだ/○○したんだ」ではなくて、「○○しなかった/○○した今、今後人生を幸福に生きるために何をするべきか」であるという""本質

 ""を見誤ってはいけない。そう感じますね。

 

未来は誰にも分からないので───────────────

 

 

大学院休学中23歳無職M1のゆりたそでした......。